title:ON THE COFFIN
material:木 × 漆 × 水槽
2005.10.10
表現のテーマとなるものは、表と裏、内と外、例えば埋められたものと実在なもの、隠されたものと現れたもの、というように、社会の光と影、真実と偽り、夢と現実のようなところの面白さです。人は大切なものや宝物、また逆に汚いものや醜いものを隠します。私もそうですが、ほとんどの人が何か隠し事を溜め込んで生活しているように思います。表の顔や表情ではワカラナイ隠されたものがあるのではないでしょうか。それは当然私にもアリます。私は常に隠し事をしながらそれが表に出ないように少し演技をしながら生活をしています。表面にかぶったものと内にある本物みたいなもの、それを私なりの手法(あるものを隠す・埋める・覆うなどで表現しようと思っています。 今回表現しようと思っているのは、棺の内と外の世界ですが、私にとって、人を隠し葬るというところで、必然的に取り上げられる題材でした。更には、昨年、知人の葬儀に参列した折に感じたことですが、葬儀場の1階には人影の無い祭壇と棺、2階では楽しそうな宴会、あの世への旅立ちのセレモニーとしてまた在りし日の個人を偲んで思い出話に盛り上がるのはわかりますが、あまりにも棺の中にいる故人がなおざりであったことに違和感を感じました。また、遺族から「顔を見てあげてください」と言われましたが、面識のない個人の顔を拝見するにあたって、自分の中で勇気が必要になったことがさみしくなり、拝見するのを遠慮せていただいたことを思いだします。「棺はあの世とこの世を結ぶ乗り物」であるという解釈が成り立つようで。「仏教の教えでは、棺は必要ない。それでも存在するのは情が入り込むから。愛するものを失う悲しみを乗り越えるためにも棺は要るらしい」命は目には見えません。亡骸を棺に入れることで、残されたものは永遠の別れを受け入れ納得するらしいのです。それだけに棺に込める情や温もりが大切になります。金八先生風に解釈すると情けという字は、心が青いと書きます。そこで情けいっぱいの棺の内を青い光と水で満たしてみました。 棺の上には必死で泳ぐ犬のゲーム(将棋)があります。私の母が、海軍通信兵として東シナ海で戦死した兄の墓前で、「犬死にやわさ‥‥」と聞いたことも、なぜ犬かという理由です。このゲームを始めるには、犬の顔を一匹ずつ覚える必要があります。犬は泳いでいる時、本当に真剣な表情をします。片足を掴んでいたずらをしようものなら本当に溺れます。犬は泳ぎに必死なのです。たくさんの犬に一匹ずつ鎖をつけて泳がせてみます。色々な方向に皆が泳ぎ出した時、鎖が絡まってきっと溺れて犬死にの出来上がりです。これは兵士にも当てはまるように思います。 今回の表現をするにあたり、あのスマトラ沖地震の大津波やハリケーンでの死者と戦争での死者、天災と人災の差はあるにせよ、人の悲しみは変わりません。そしてどちらも悲惨な戦場の情景を醸し出しています。私にとってこれはあくまでも表の表現の世界で、しかも視覚的な世界でしかありません。では、その内にある見えないものは何でしょうか?私たちは表を見て裏を想像し、現実を見て夢を見るのではないでしょうか。